ビギン・ザ・ナイト


あずささんのプロデュースを始めてから半年ほどが経過した。
最近は世間への認知度も上がってきたようで、勉強のために舞台やライブなどに見学に行くと、ファンから声をかけられるようなことも多くなってきている。
実際、Cランクにもなれば、いつまでも吸収の時期とはいってられない。
本格的にアウトプットが求められる。表現するほうに回らなければならない。
しかし一方ではまだまだ勉強も必要だ。
特に感性的なものについては、継続して取り入れていったほうがいい。

プロデューサーは自分の名前宛に届けられている封書を次々と開いて読んでは無造作に破り捨てていた。
中身はほとんど三浦あずさへの出演依頼、仕事のオファーである。
プロデューサーの思惑としては、仕事を選ぶわけではないが、できるならあずささんの今後の糧になるような仕事をやってもらいたい。
必然的に毛色が合わない仕事はお断りとなる。
びりびりと破った紙の欠片が床に小山をつくり始めており、向かいの音無小鳥が咳払いをするがプロデューサーは気づく様子もない。
惰性で封筒を開いては破る動きになりつつあったとき、一枚の案内状を破りかけた手が止まった。
「先行試写会のご案内…か」

あずささんが事務所に現れたのは10時5分前であった。
「おはよう〜ございます〜」
いつもより、さらにちょっとスローペースな挨拶だったりする。
スタッフも交えてミーティングで、今日の予定を確認した後にプロデューサーは切り出した。
「そうだ、あずささん。今週の金曜日17時から予定を入れましたのでよろしくお願いします」
「あっ、はい、わかりました〜。それは、お仕事ですか?それとも…」
あずささんが何かを続けようとする。
「えっと!お仕事です。銀座でこの映画の試写会がありますので、それに出ていただきます」
プロデューサーが1枚のポスターを見せる。
おお、と周囲のスタッフがどよめく。
欧州で既に封切りされて、現地では評判の高いラブストーリーである。
日本公開に先立っての試写会で、男性のみならず女性からの支持も篤い高い三浦あずさが宣伝をすれば大きなPRになるだろう。
「まあ〜こんなお仕事いただけるなんて、嬉しいです〜」
「では、試写会が19時からなので、準備のあと車で試写会場に向かうこととします」
和やかな雰囲気で打ち合わせを終えると、プロデューサーは足早にオフィスの休憩コーナーに移動してコーヒーを買った。
(危なかった…)
カップから熱いホットコーヒーをすすり、気分を落ち着かせる。
つい先日、ランクアップ前に勉強のために行ったライブ鑑賞での出来事が脳裏から離れない。
それはとても甘やかな、久しく感じることのなかった気持ちであった。
マリア・スミスの歌に中てられて、その後の食事では少しプライベート的なことも語りすぎたかもしれない。
以来、あずささんはご機嫌だ。マイペースではあるが仕事やアイデア出しにもより積極的になり、アイドルという仕事を十分に楽しんでいるように見える。
そして、つい先日、Cランクアップの翌週に聞かされた“あずささんがアイドルを目指した目的”。
その場では気持ちを受け止めたつもりだが、なぜか、心の中で、わずかな引っ掛かりを覚えるのだった。

今週も慌しく仕事に追われ、あっというまに金曜日を迎える。
今日はあずささんは別の収録に出ており、合流するのは夜の試写会の直前だ。
試写会は、その映画の宣伝の目的ももちろんあるが、“その映画を紹介する芸能人のアピール”の相乗効果も狙っている。
トレンドの先端を行く芸能人がその映画を紹介すれば必然的に興行にもプラスとなり、いっぽうでその映画の興行が上向けば、それを先んじて観に行ったタレント側にもプラスになる。
プロデューサー自体はまだ中身を見ていないが、海外で先に見たスタッフがおり、内容については太鼓判を押す出来らしい。

「プロデューサー、お疲れさまです。なんかご機嫌ですね?」
TV局内での廊下で、すれちがった番組ディレクターから声をかけられた。
「えっ…そ、そうかな?」
つい緩んでいないかと口元に手を当てる。
「ええ、なんだかいいことあったみたいな顔されてましたよ。じゃ!」
慌しくディレクターは去っていく。
首を傾げてはみたが、内心、自分でもそれはわかっていた。
日を追うごとに、今日という日を楽しみにしてきた自分がいた。

打ち合わせ打ち合わせうちあわせ。
企画会議の連続。合間を縫う感じであずささんの仕事に付き添い、必要に応じて指示を出していく。
ここ最近の、激務と言って差し支えないハードスケジュールをこなしえたのは、きっと、今日のことがあったから。
今日を励みにしてきたから。
土日などないこの業界の仕事であるが、明日の午前中は互いにオフにしてある。
別になにがあるわけではないが…なんとなく“なにがあっても大丈夫”なようにしてしまっている自分がいる。
胸の携帯が震えた。電話先を確認もせずに耳元に当てる。
「はい。…あっ、社長。はい、はい…えっ…?」
慌しいTV局の廊下で、つい足を止めてしまう。
ADたちスタッフが立ち止まっているプロデューサーを器用にかわしては去っていく。

「はい〜三浦です〜」
通話口向こうのあずささんの声を聞いただけで、プロデューサーは複雑な気持ちになる。
「あ、あずささん、実は…」
ゆっくりと言葉を選んで、あずささんに事情を伝える。
内容は簡単だ。
社長の代わりに一件打ち合わせに出席するという内容である。
そしてその打ち合わせの開始は……夕方5時から。
「…………」
「……あ、あの、あずささん?」
「……あ、あら〜すみません〜。ちょっと、驚いてしまって…」
「本当に、すみません。スタッフには、進行の指示は連絡しておきますので」
「いえ〜プロデューサーさんも、お仕事頑張ってくださいね〜」
「は、はい。それでは」
電話を切る。
よかった。特に問題はないみたいだ。
「…………」
よくよく考えてみれば、気にするほうがおかしいのだった。
別にデートの約束をしたわけではない。そしてそれをキャンセルしたわけでもない。
ほんの、仕事のスケジュール調整の一環である。
「…………」
それでも、胸のうちの落胆は、拭えない。
「くっそ〜〜、社長め〜〜」
できることは、このぶつけようのない気持ちを目の前の仕事のモチベーションに
転嫁させることだけだった。

携帯を切ってから、深い深いため息をひとつ。
美容室の待合用椅子の上で、三浦あずさはがっくりとうなだれた。
「どうされたんですか?」
担当の美容師が気軽に声をかけてくる。
あずさの入店時の嬉し恥ずかしげな、そして晴れがましそうな表情はすっかりかき消されてしまっていた。
「い、いえ〜ちょっと予定が変わってしまいまして〜」
「あら?早まりました?」
「いえ、そういうわけでは〜。ただ、プロデューサーさんが…」
最後、来られなくなって…という言葉はどんどん小さくなる。
「そうなんですか?」
担当美容師は流れるような仕草で椅子を回し、緩慢な動きのあずさを座らせる。
「あずささんとの予定をキャンセルするとはなかなかの神経の持ち主ですね」
「あ…いぇ…お仕事のご都合なので…」
反射的にプロデューサーを弁護してしまう。
美容師はにっこりと笑うと、あずさの髪を梳きはじめた。
「そうですか。じゃあ、後悔させてあげましょう。あずささんのドレスアップを見逃してしまったことを」


試写会タレントという言葉があるくらいで、映画の試写会というのは芸能人の人間関係を直撃する芸能ニュース発生の場でもあれば、彼ら彼女らのファッションセンス発表の場でもある。
それぞれが注目されて、TVのワイドショーやスポーツ紙などに提供されるのだ。

18時半きっかりに会場に到着したあずさは、うやうやしく開けられたハイヤーの扉から降りようとして、浴びせられるフラッシュの数々に思わず目を瞑ってしまった。
自分の視界180度をぐるりと取り囲んでいる報道陣。
ひっきりなしに続くカメラのフラッシュが、彼女の降車を待ち構えている。
「……ぁ……」
思わず目元を手で遮ってしまう。
普段ならば、どうってことなかっただろう。
自分より先に車外に下りて、手を取る人がいたから。
だが、今日は一人である。
すっかり自分の中でのタイミングを逸してしまっていた。
「大丈夫ですか?みなさんお待ちですよ」
不意に、張りのある声が車内のあずさに耳に届いた。
「え…え〜」
そのまま、太い手があずさの手を握り、力強く車外に招きよせる。
ばしゃばしゃばしゃと浴びせられるフラッシュ。
「貴女が来られていたとは、僕は運がいい。僕、貴女の大ファンなんです」
「あ、あの〜…あなたは…たしか〜」
「はい」
日に焼けた顔から、白い歯がこぼれ、自分の名を名乗る。
最近TVを賑わせている振興のITサービス関連企業の若手社長であった。

プロデューサーは打ち合わせのまっただ中であった。
元々は社長が出るべき会議のため、ざっくばらんな企画会議とは違い、粛々と報告事項が読み上げられるようなスタイルで、正直苦痛ではある。
胸の携帯が震える。
メールかと思いきや、スタッフからの着信だったので、一瞬逡巡してから一礼して会議室を出て、電話を受ける。
「なんだ。この時間会議中と言ったはずだけど」
「すみません。ちょっと、あずささんとあのタラシで有名な社長が鉢合わせしちゃって…」
「え…?あんな奴が来てるの?」
「はい…なんでも直前でねじ込んできたみたいで…あの、ちゃんとこちらでケアするつもりですが、一応報告しておこうかと思いまして」
「ああ、ありがとう…すまないけど、よろしく頼む。終わったらすぐ向かうから」
電話を切って会議室に戻る。
(……今は、あずささんを…信じるしかないか…)

あずさは指定された席に腰をかけると、そっとため息をついた。
が、その息を送り出しきる前に先ほどのフレグランスが鼻に入ってきた。
「や、どうも」
先ほどの男が当然のように横に座ってくる。
「……!」
あずさは会釈をするのが精一杯である。
そっと視線だけを相手に送ると、目ざとくそれを捉えて、にこやかな笑みを返してきた。
慌てて何も映っていないスクリーンへ向き直る。
今日は業界関係者たちしか集まっていない試写会であり、よく見知った顔も多い。
だが、そんな彼らの存在も彼女の視界には入らない。
なぜだか、オーディションの時にも感じなかったような緊張が身を包む。
そう、この感覚は…まさに…。
(あの時と、今回も同じです〜)
高校時代。
初めてのデート。
緊張のあまり一言も会話が出来ずに終わったあの悪夢のような出来事。
なぜだかあのときの、何も口に出来ない状態が今のあずさを包んでいる。
(もしかして…この人が…運命の人…なのかしら…)
雑誌や新聞でも有名な、いわゆる“IT長者”。
元ラガーマンとの堂々としたスタイルに加え、数百億とも噂される個人資産。
だが、当然その名声につきまとうような形での華やかな噂も多い。
大物女優、歌手、モデルとの浮名が幾度か芸能誌にもスッパ抜かれている。
だが、それをどこ吹く風と笑っているのがさすが修羅場を潜り抜けてきた起業家といったところだろうか。

あずさは周囲の拍手で我に返った。
気がつくと明るくなった周囲が割れんばかりの拍手をスクリーンに向けて送っている。
(あら〜…映画が…終わってしまっていました〜…)
隣でもぱん、ぱん、とハリのいい音を立てて拍手をしている。
「いや、すごく素敵な内容でしたね?」
「……」
頬に手をあてて、微妙な顔を浮かべることしかできないあずさ。
「ははは、ちょっとそうでもないって顔されていますよ」
「……」
「さあ、ここを出ましょう。この後、記者会見があるのでしょう?」
反対の隣席にいるスタッフが慌ててあずさの肘を捕まえようとするが、わずかに早くあずさの手を取ると、さっさと席から廊下に引っ張っていく。
あずさはただなすがままにそれに従わざるをえない。

ロビーに出ると、また数多のフラッシュが閃光となって二人を襲った。
居並ぶカメラの放列。その中にはTVカメラもある。
カメラと共に並んでいた芸能記者、レポーターたちから波のような驚きの声があがった。
すわ、新しい出会いか?
鼻を利かせてやってきた記者たちが二人を取り囲む。
「これは、新しい恋が生まれたということでしょうか?」
調子のよい女性リポーターがマイクを社長に向ける。
「いや、そんなことはないですよ。今日が初めてお会いしたわけですし。でも、前からファンだったので、今日会えた偶然というのも運命的なものかもしれませんね」
びく、とあずさの背筋に電撃が走った。
運命…。
もしかして、これが、運命だったのかもしれない…。
「三浦さんは、どうですか?彼の印象は…」
マイクを向けられ、併せて彼の自信に満ちた笑顔を見比べる。
「え〜っと…」
口ごもる。
たとえ、運命の人だとしても、どうしてそれをいきなり言えようか。
あずさは混乱するばかりで何も喋れない。
リポーターがさらに言葉を重ねようとした瞬間、あずさの後ろから長身の男が身を滑らせてきた。
カメラとあずさたちの間に立ち、営業用の笑顔を浮かべる。
そして、すうと息を吸うとハリのある声をあげた。
「すみません、場所の移動をお願いできますか。会見場はあちらに場所をつくってありますので…」
「プロデューサー…さん?」
プロデューサーはくるとあずさの方に振り向き、一度うなずく。
「すみませんが、お願いします。なんせ背景にポスターがないと試写会のコメントになりませんので…」
一時のぴりぴりとした場にどっと笑いがおき、弛緩した空気が流れる。
指示された場所には今回の映画のポスターを敷き詰めたパネルが置かれ、番組担当者が所在無げな姿を晒していた。
カメラマンたちが三脚を移動し始め、再度会見場所にセッティングを調整しなおす。
「よし、あずささん、会見だ。コメントはこちらが出すから、あずささんは俺の指示に従ってほしい」
「はい…あの…私…」
「うん」
言いかけて、あずさは俯いてしまう。
「ごめん、あずささん…なんだか大変になってしまったけれど、もう少しだけ辛抱してほしい」
それから、すぐに隣に並んだままの男に向き直る。
背丈は同じくらい。だが、堂々とした厚みを備える体躯に対して自分も威圧感を受ける。
「はじめまして。私765プロで三浦あずさのプロデュースをしております」
流れる仕草で名刺を出し、自分の名を名乗る。
「こちらこそはじめまして」
聞き及んでいる名前を聞かされ、名刺をもらう。
「しかし…さすがですね」
「恐れ入ります」
短い応酬。
お互い、笑顔のまま。

すれ違う二人。

去っていく社長を見もせず、プロデューサーはあずさの背中に触れた。
「あ…プロデューサーさん」
「行こう、あずささん。コメントはこちらが出す。心配しなくていい」
「はい…なんだか…内容をよく覚えていなくて…」
「うん」
あずさは背中に置かれたプロデューサーの手から、凝り固まっていた自分の体の血がゆっくりと巡り始めるような、そんな錯覚を覚えていた。
…結果として、読み上げたコメントは当たり障りのない内容になってしまった。
一度壊れかけた会見をここまで立て直しただけでもよしとしたい、プロデューサーはそう自分を慰めたが、社長にはなんと報告したものか。
いや、そもそも前にこんな打ち合わせを急に入れた社長が悪いのだ。
今後、こんなことがないようにしっかり段取りしてもらわないとならないだろう。
会見はまだ続いている。
プロデューサーは意識を戻した。
「…それでは、先ほどの彼についてはどう思いますか?映画のような恋愛は出来そうですか?」
「えっ…」
あずさの視線が一瞬プロデューサーに向く。
プロデューサーはそれを受けて、軽く首をすくめた。
あずさはそれを確認すると、リポーターに向き直る。
「そうですね〜いつかは、どなたかと素敵な恋愛が出来ればと思います〜。でも今は、お仕事が楽しくて…」

それは、ほんとうに、なんてことのないコメントであった。
だが、それでよかった。
印象に残る発言はそのまま記事になりうる。
落ち着いたあずさの受け答えに会見の雰囲気も和やかな形で終了した。

撤収のスタッフを先に移動用のエルグランドで帰らせ、幾人かの関係者と挨拶を交わすと、二人はなじみの個人タクシーでいったん事務所に戻ることとした。
あずさは車中で改めて落ち着いたようなため息を漏らし、プロデューサーは苦笑いするしかなかった。
「今日はこのままあがっていただいて結構です。明日ですが、CM撮影の打ち合わせがありますので、いつもの時間にお願いします」
「…はい〜。今日は、本当にありがとうございます…。助かりました〜…本当は…」
「はい?」
「…いえ、なんでもないです〜」
車中が、ちょっとした沈黙に包まれる。
口にしかけた言葉。
それを飲み込み、あずさは目をつむる。
察したプロデューサーが座席の後ろにあるブランケットを膝に乗せてくれたのが嬉しかった。軽く頭を下げて厚意に甘える。

明日も慌しい日々となるだろう。
そんなアイドルという仕事をしている中で、今日、ひどくはっきりと思い出した高校時代の最悪な思い出。
自分がアイドルを目指そうとしたきっかけにも繋がる…辛い出来事。
(こんど…プロデューサーさんにお話できるかしら〜?)
緩やかな睡魔に抵抗せず、あずさは眠りへと落ちていった。


ある日の風景5に続く。


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