未だ冬に至らざれば、春またなお遠し


「おはようございまーすっ、プロデューサーさん♪」
春香の明るい声が事務所に響いた。
「ああ、おはよう春香」
「おはようございますっ」

なんてことない朝の挨拶。
春香は今日も元気そうだ。
これなら今日のレッスンもテンポよく進むだろう。
そうだ、そういえば先日メールをもらっていたんだった。
「春香、足、180度開脚できるようになったんだって?」
そう言うと春香の顔はぱああっと明るくなった。
「そうなんですよー!前にプロデューサーさんが教えてくれたように、お風呂のあとにストレッチをしていったらだんだん足が開けるようになってきて、それで嬉しくなって続けていたら…最近180度開くようになりましたー!」
「よし、よくやったな!体が柔らかいと、ダンスにも発声にもいいこと尽くめだからね。引き続き、継続していこう」
「はいっ!」
ぐっと、こぶしを作って返事をする春香。
今日は本当にいいレッスンができそうだった。


「お疲れ様でした!」
レッスンと仕事を終えて、事務所に戻ってきた。
大分遅い時間だった。社長もスタッフもみな退社済みの札に置き換わっている。
いっぽう、春香に疲れの色は見えない。
最近は大分体力もついてきたし、このくらいの練習量・仕事量はまだ大丈夫だろう。
「次もよろしくな。遅くなったから家に連絡していけよ」
「はい」
くるっと回って電話を取ろうとすると春香のサンダルがつるりと抜けた。
そのままバランスを失って、思い切り横にずっこけてしまう。
「うわっ、大丈夫か春香!」
「は、はいー…今回は靴が脱げちゃいましたー」
「ほんと、大丈夫か…今のは関節を柔らかくしても防げないからなあ…つまり」
「…つまり?」
「平衡感覚がないってことだ」
「うう、ひどいー」
そんな風にじゃれあいながら、立ち上がろうとする春香だったが、
「いたっ」
そう叫んで、もう一度しりもちをついてしまった。
「ど、どうした、やっぱりひねったか」
「は、はい…そうかもしれません…」
右の膝を立てている。どうやら床に足をつけても痛むのかもしれない。
「ちょっと、いいか」
俺は春香のかかとを軽く支えた
「つっ」
「痛いか?」
「はい…ちょっとだけです。大丈夫です…って、なんかふくらはぎも痛くて…なんかつっちゃったみたいですぅ」
「な、なんだと!?」
あわてて足の先を体のほうに引っ張る。
今日のダンスレッスンで大分動き回ったから、さすがに足にきたのかもしれない。
「大丈夫か、痛まないか?」
「…は、はい。大丈夫です……」
そこで、春香は微妙に口ごもる。
とりあえず、俺は気にせずふくらはぎを延ばしてやることに専念する。


プロデューサーさんが、必死に私の足を診てくれている。
それはとても嬉しかった。
同時に申し訳ない気もした。
いつもこんなに迷惑をかけて…余計な仕事を増やしてしまっている自分がふがいなかった。
そんな風に考え、客観的に今の状況を見たときに、自分はすごい格好をしていることに気がついた。
今日の服装は膝までのスカートとサンダル。
今は、お尻をついて、左ひざを立てて、右足はプロデューサーさんが支えている格好。
(うわああああぁぁぁ…ぷろでゅーさーさんに、思いっきりスカートの中、見られちゃっている…)

一気に顔が紅潮するのが自分でもわかった。
顔を背けて、なんとかしようとも思うが、スカート自体も太もものあたりまではだけてしまっているから、姿勢を変えただけでは戻りそうもない。
(ああああああ、恥ずかしい…えっと、えっと、今日はなんの柄はいてきていたっけ…いや、違う…うううううう)
ともかく、春香は右足の痛みが治まるまで、プロデューサーにゆだねるしかない。
ぎゅっと目を瞑って、なんとかこの状況が終わるのを待つことにした。

春香が顔を赤くして堪えている。
そんなに痛むのだろうか。
だとしても、急いで伸ばしても逆効果だ。
足がつるのを収めるにはまずはゆっくりと痛む部分を伸ばしてやらないといけない。その後は温めてやるのがいい。

そう思いながらつま先部分をゆっくりと体に向けてひっぱる。
また、同時に膝裏のツボを刺激すると収まりが早くなる。
そこで、気づいた。
春香が思い切り両足を広げて、膝をたてている状態であることを。
はっきりと下着が見えてしまっている状況下に、俺が置かれていることを。
(ぴんくだ…)
その光景は…一瞬のうちに脳裏に焼き付けられてしまった。上書きも削除も不可能なくらい、深くくっきりと刻まれてしまった。
春香が顔を逸らしているのをいいことに、つい凝視してしまいたくなる衝動に駆られる。
それをギリギリの…春香の足を診る目的を再認識することで誘惑をはねのける。

ふくらはぎ自体をたしかめる。
「んっ」
聞きようによっては勘違いしそうな声を春香があげる。
それは…とてつもない、16歳の少女の足だった。
(…吸い付くような…肌だ…)
どうしても意識が春香の肌に移ってしまう。
実際、春香の肌は、魔性といってもよいくらいのきめの細かさだった。
メイク担当がナチュラルでもいけますよと太鼓判を押すのが不思議だったが、こんな秘密があったのか…。
おそらく、春香の肌は、芸能界でも随一のきめと張りと艶を持っている。
単純な若さのせいではなく、これは天から与えられた資質の一つだろう。
スポットライトを浴びると、どこにでもいる少女が不思議と輝く存在になる原因の一つに違いない。

とにかく、映えるのだ。
アイドルに必要な、他者に埋没しない存在感。
それが、春香は舞台の上で発揮する。
熱意、技術、それらに加えて、舞台映えする肌を持つ。

ついふくらはぎに置いた手をつうっと滑らせた。
(うわっ)
全身がかっと燃え上がるようだった。
これは男…いや、自分の中の雄の部分を刺激するくらいの衝撃だった。
見てはいけない、見てはいけない…そう思いつつ、再度視線をふくらはぎから足の付け根に向けてしまう。

事務所の殺風景な蛍光灯の下で、はだけられた太ももが妖しく悩ましく光っている。
そして、その先で息づいている見てはいけないもの。

確かに今まで、きわどい服装で踊るときに、スカートの中が見えるような状況もあった。
だが、あれは実際インナースパッツのようなもので、別に見えても問題はない。
俺も春香自身もそんなことを気にしたことはない。

でも、先ほどのは…間違いなく、天海春香が、素ではいてきた下着…。
ぴんくの可愛らしい、下着だった…。
ええい、馬鹿か俺は!
そんな小娘の下着一つでなにを血迷っているんだ!

ちょっと乱暴にひざ裏のツボを刺激する。
「んんっ…痛い…プロデューサーさん…」
春香が懇願の声をあげる。
「もうちょっとだけ、我慢してくれ。これで楽になる」
「は、はい…」
素直にうなずく春香。
その返事を聞いて、自分の中で猛っていた雄の部分が鎮まっていくのがわかった。

きっちりと足を伸ばしてやり、最後にサンダルをはかせてやる。
はだけたスカートをひざまで戻すと、春香は背けていた顔をこちらに向けた。
「あの…」
「ん?」
「あ、ありがとうございます」
「ああ、立てるか?」
春香の横に回り、左手を取って立ち上がるのを支えてやる。
先ほどの衝撃はそのままに、春香の手は優しく柔らかく感じられた。
「はい、立てます…本当に、すみませんでしたー」
春香はとった手を離そうとしない。
「…………」
「…………」
二人とも、奇妙な沈黙が続く。
「あの……手……」
「あっ……はい……」
俺はやっとの思いで言葉を絞った。
なんで、そんなに、名残惜しそうなんだ春香…。

事務所の下まで春香を見送ったあと、戸締りをして俺も事務所を出る。
歩きながら、
「アホか俺は…」
ため息をついた。
(あの子はまだ16歳の…それも俺が担当する子だ。何考えているんだ…)
まっすぐな瞳。俺に将来をあずけていると言い切るその瞳。
オーディションで、俺の信頼に応えたいと言い切るその瞳。

「勘違いするな、俺」
あえて言葉として口に出す。
春香が俺を慕うのは、俺があくまで春香の担当プロデューサーだからだ。
あの子はあくまでアイドルとして、俺のプロデュースに従っているだけなんだ。
春香は何も悪くない。
春香は仕事に対して熱意があり、皆に愛される性格をしていて、この先の可能性を感じさせられるタレントだ。
俺はプロだ。彼女のポテンシャルを見極め、彼女の望むところまで共にプロデュースする。それが、俺のミッションだ。
公私混同なんかしない。

…って、公私混同ってなんなんだ、俺は!何を考えている!
もう一度確認する。
春香が俺を慕うのは、俺があくまで春香の担当プロデューサーだからだ。

しかし、だとしても。そうだとしても。
俺は…?
俺は、どう考えている…?
俺は、春香のことを…どう思っている?

ひゅうと、秋の風が足元をすくった。
「……」
熱燗が欲しくなってきた。
おでんと日本酒で、今日の出来事を洗い流すとしよう。
胸の中のわだかまり。
そんなのは放置しておけばいい。
いずれ干からびて、存在すらもなかったことになるかもしれない。
そうあってほしい。
ネオンがきらめく繁華街へ、足の向くまま踏み入る。


駅までの道をてくてく歩きながら春香は下を向いていた。
この姿なら周りが見ても、自分が天海春香とは思うまい。

結局、プロデューサーさんには、見えちゃったんだろっか…。
思い返すだけでぼっと血が昇ってしまう。
でも、何も言わなかったから…気づかなかったかもしれない。
私だけがそんなことで慌ててただけかもしれない。
そうだ!そういうことにしよう。
たとえそうだとしても、プロデューサーさんは、大人だから、別に、私のが見えたって…気にしないはず。
…それはそれで、別の意味で悔しいけれど…。

ぷるぷると頭を振る。
「勘違いしちゃダメ、春香」
声に出して、自分を戒める。
プロデューサーさんが優しいのは、あくまでお仕事だから。
いつも応援してくれたり、励ましてくれたりするけれど、それは私がアイドルをやっていているから。
だから、舞い上がっちゃダメ。
冷静に。
考えると、切なくなるなら、考えなければいい。
想いがあるなら、それを凍らせればいい。
心の奥深く、底の、一番大事なところにしまって、凍らせておこう。
そうすれば、いつかは懐かしい思い出になっているかもしれない…。
そうしよう。

春香は自虐的に笑った。
自分でも、いやな顔をしているのだろうな、と思い、それを振り払うべく顔をあげた。
上を向いて、歩こう。

人恋しくなる季節が、もうすぐそばまで来ていた。



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