ある日の風景 そのX(1)




いつの間にか季節も変わり、木枯らしも厳しい冬になっていた。
春香は久しぶりに始発以外の電車に乗って事務所に来ていた。。
プロデューサーが午前中に買物の用があるとのことで、今日は午後からの仕事である。
いつか一緒にお買い物とかできればなあ…。
ぼんやり考えながらエアインチョコなんかをかじっていると、百貨店の袋を抱えたプロデューサーが事務所に入ってきた。
「あっ、おはようございます、プロデューサーさん」
「うん、おはよう春香。先に来ていたんだね」
「はい、えへへ…」
(今日のプロデューサーさんは、なんだか優しい感じ…)
照れてしまう。
「で、そのぅ、今日って何を買いにいかれたんですか?」
プロデューサーは、ああ、と包みを振ってみせた。
「親戚の子に子供が生まれてね。その出生祝いなんかを」
「赤ちゃん!ですか!」
春香が予想外に驚いたのでプロデューサーも怪訝に思ったが、やがて得心がいったように、
「そういえば、春香のところの親戚にも赤ちゃん生まれたって、前にメールで教えてくれたね」
そう言って袋から中身を取り出した。
包装はしていたが、春香にも中身は毛布であることがわかった。
タオル地の特別な生地でできており、保温効果が高いという。
春香は包装紙の上から毛布を指で弄りながら、
「赤ちゃんって、ほんと!かわいいですよね!ほっぺなんかぷにぷにで、もうぱくって食べたくなっちゃいそう…」
「ははは…」
春香なら本当にかじりつきかねない。
「そうだ、この前携帯に写真送ってきたんだけど、見る?」
「あっ、ぜひ、見せてください!」
プロデューサーが椅子に座り、携帯をいじる。
その横に春香が並んで椅子の背をつかみ、顔を寄せ合う形で携帯を覗き込む。
ふわり、と春香の香りが一瞬プロデューサーを捕らえる。
「……」
目の前の携帯に集中して、送ってきた写真を見せた。
まだ目も開けていない生まれたての写真だった。
「ぷっ、あはははは!この子、プロデューサーさんそっくり!」
「ああ〜?どこが!どこが似てるんだよ」
「あはは、あはは、はははは…なんか、不機嫌そうなところとか、すっごく」
確かに微妙に不満顔のようにも見える。
「俺そんなにいつも機嫌悪いかなあ」
「ふふふ、なんとなく、そんな感じがしたんです」
春香は口を手で押さえているけれども、まだおかしそうに肩を震わせている。
「これが数日経ったとき…昨日の写真だな」
別の写真を見せた。先の生まれたてのときの絵とは違って、まだ目は閉じているが、髪の毛はふさふさに立っている。
「あっ、可愛い。プロデューサーさんみたい」
「だから、なんで、俺なんだよ」
口を尖らせた俺と至近距離で視線がぶつかり、春香はにっこりと笑う。写真に目を落として、
「なんだか、キザっぽそうなところ。この子は将来女の子をいっぱい泣かすかもしれません。
今のうちに私がみっちり教えこまないと」
「……」
「どうしたんですか?」
「どうもこうもないよ。あきれただけ」
内心どきりとしたのはこの際無視だ。
その後も春香には数枚の写真を見せてあげた。
他所の家の赤ちゃんにどれほどの興味があるのか、春香は熱心に眺めては手が可愛いとかほっぺが可愛いとか言っていた。
「ふふ、本当に赤ちゃんて可愛いなあ。早く欲しいなあ」
「春香は早くお母さんになりたいのか?」
「あっ…今のお仕事とか、そういうのとは別にしてですけれど…いつかは、やっぱり、赤ちゃん欲しいです」
「ふうん」
俺が相槌を返すと、春香が下から覗き込むような表情をみせた。
「プロデューサーさんは、子供って欲しくないんですか?」
「……」
苦笑する。
「欲しくないことはないけれど、こういうのはねえ、授かりものだし」
「じゃあ、別に、子供が欲しくないってわけじゃないんですね」
春香はなんだか安心したような口調で、隣の椅子に腰をとすんと落とした。
またしても俺は苦笑する。
「まあそうだけど…その前にもいろいろと手続きはあるからなあ」
「手続きって……あ」
春香が、急に頬を染めてうつむく。
「あの、すみませんでした…でっ、でも、プロデューサーさんって、今は、そのう、彼女さんとか……いないのかなぁーって?」
椅子をふらふら揺らしながら、最後は謎な語尾上げの口調だった。
「まあ、いないね」
素直に答える。
「そっ、そうなんですか!」
「あれ、意外?」
春香の声が上ずっていたようにも思えたので、訊いてみた。
「い、いえ、そんなこともないんですけど…なんだか、ちゃんと訊いたのって初めてでしたし」
「そういえば、そうだね」
「ふうん…そうなんだ…」
言葉をかみ締めるような表情の春香にふと戸惑ってしまった。
「…さ、さあ、何もなければそろそろレッスンに行くぞ」
「あ、は、はい。あっ、そういえば、従姉のお姉ちゃんところの赤ちゃんも、この前写真送ってきてくれたんですよ」
「ほう」
赤ちゃん見てくださいと春香の折りたたみ携帯を出され、蓋を開く。
待ち受け画面が付き。

俺だった。仕事中の、横顔の写真。
それが、なぜか春香の待ち受けになっていた。

「…………………………………………………………………………」
「…………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………あ」
「…………………………………………………………………………」
「………あ、あの、あ、赤ちゃんの写真見せてくれるかな、春香」
「あ、は、はい、はいはいはいははは、赤ちゃんですよね、赤ちゃん。赤ちゃんの写真わーっとと」
「そ、そうそう赤ちゃんの写真をみたいなーってね…」
二人して、よくわからないダンスを踊り始める。
「ウォッホン」
大き目の咳払いに二人がびくうっと肩を飛び上がらせた。
振り返ると社長がコブシを口元にあてて立っていた。
「相変わらず、仲がいいねえ」
「あ、社長…」
社長は二度ほど咳払いをした。
俺は春香と二人して握っていた携帯電話からぱっと手を離し、社長に向き直る。
「…最新の流行情報、伝えてもいいかね?」
「…はい、お願いします」


結局、春香の赤ちゃん…じゃなかった、春香の従姉の赤ちゃんの写真を見ることは適わず、その日のレッスンと仕事は無難にすごすことになった。
俺も春香もさっきの携帯のことは触れていない。
「それでは、お先に失礼します」
春香がいつものように、やや元気分を強めに挨拶する。
「ああ、お疲れ。また次もな」
事務所の外まで春香を見送った後、自デスクに戻る。
春香と外に出ていた時に送られてきた書類の山が迎えてくれる。
仕事の企画書から請求書、印刷所から送られてきたグラビア素案や雑誌のゲラなど種類も大きさも様々だ。
その中のグラビアの写真を一枚取り出してみる。
数日前、ダンスの衣装で撮った写真がまず1枚目に留まった。
トゥインクルブラックの衣装に身を包んだ春香が、左手をベルトのバックルにかけている画だ。
普段の春香とはまったく違う、冷静かつ、やや強気そうに感じる表情。
この表情を撮るまでが大変だった…。
なかなかイメージどおりの写真が撮れず、春香は半泣きになるし、スタッフも大変だった。
しかし…苦労した分、いい写真に仕上がったと思う。
やはり、さすがアイドルというべきか。
写真の画からは撮影時の苦労など微塵も見せない輝きがある。
「…さんっ……デューサーさん………プロデューサーさんっ!」
「ん…ああっ?音無さん!?」
いつの間にか、音無小鳥が横に立っていた。
今気づいたことに彼女が半ば呆れたような表情を見せる。
「請求書の提出、今日までですよ。今もらっていきますので、直接来ているものがあれば、渡してくださいね」
「ああ、すみません」
普段は直接支払いの担当に届くようにしている請求書だが、個別に話をつけたりしているとプロデューサー宛として送りつけてくることも多い。
机の書類の山から、保管していた請求書の束を渡す。
そのときも、机の上に春香の資料がぱらぱらとこぼれる。
「おっと、いい加減整理しなくちゃなあ…あれ、こんな画あったっけ?」
未見のポジフィルムを発見したので、つい透かして眺めていると、小鳥がくすりと笑った。
「…?」
「いえ、すみません。本当に、お仕事熱心だなって思いまして」
「そ、そうですか。そんなつもりもないんですが。…プロデュースしている責任ありますし」
小鳥はますますおもしろそうにくすくすと笑う。
「そうですよね。でも、プロデューサーさんみたいな方に、四六時中想われているなんて、うらやましいなあ」
「あれ?なんですか?小鳥さん、デビューしたいんですか?なんなら…」
「冗談です。そんなこと、天海さんの前で言わない方がいいですよ?女の嫉妬は怖いんですから」
俺は軽く笑った。
「ははは、春香はそんなこと気にしないでしょう」
「…………」
音無さんはそれに答えずニコリと笑うと、請求書の束を受け取って去っていった。
俺も崩れた机の上の書類の整理に取り掛かる。

しかし…音無さんの言うこともある意味的を射ているというか。
むしろ自分に突き刺さる言葉であった。
(たしかに、俺はいつも春香のことを考えているな…そう、それこそ四六時中)
春香がどんな仕事をしていくのか、春香がどんな歌を歌っていくのか、春香がどんな写真を残していくのか、春香がどんなアイドルになっていくのか…。
(これじゃあ、本当に彼女なんてできるわけがないな)
自嘲の笑みがこぼれかけ、そこで改めて思い至った。
(そういえば、なんで春香は俺の写真なんか載せてたんだろう)


夜に仕事を終えて帰る頃になると、電車は帰宅を急ぐサラリーマンでいっぱいになる。
駅始発の電車のため、席に座ることができるのが救いだった。
春香の事務所への行き帰りは、ヘッドホンでデモテープを聴くのが日課であった。
が、今は音楽を聴く気にもなれず、ヘッドホンを耳にいれたまま携帯を開いたり閉じたりしている。
(みられちゃった……というか、私が見せたみたい…恥ずかしい…)
はぁ〜とため息。
なんてことはない写真だった。
プロデューサーが自席で仕事をしているときの横顔をみたとき、ふっと携帯を取り出し、ぱしゃりと音をたてて携帯のカメラで撮影した。
忙しい事務所内で、そのことに誰も気づかなかった。
それから、春香は待ち受けにしたプロデューサーの写真を、ただ眺めるようになった。
プロデューサーがいない、一人で控え室にいるとき。
それか、今みたいに電車での行き帰りのとき。
他にも、ベッドに入るとき。
携帯を開いてプロデューサーの写真を眺めていた。
いつも、声をかけてくれる、暖かさ、優しさ。
それをずっと感じたいと思っていた。
(こんなことしていたら笑われちゃうかも。明日からも、普段どおり、普段どおり)
気が付くと。
もう家の前だった。
「……」
考え事をしていたらもう家に着いているなんて。
門を開けて、ポストを覗き込む。
(手紙…それに、私宛だ)
春香宛の切手のない手紙。
裏を見る。
差出人は書いてはあるけれど。
だれだか、わからない。
何か、妙に胸が高鳴ってきて。
手紙をカバンに入れると、勢いよく玄関を開けた。


翌日。
夜型が多い芸能界にあって、プロデューサーの朝は早いほうである。
8時には自席に座ってコーヒーをすすっていた。
とりあえず、各種スポーツ紙の芸能欄を一通り確認。
その後は、早売りの雑誌を眺めたり、メールをチェックしたりと情報収集などしている。
「あー、ちょっと、いいかね」
「…社長?」
珍しく、社長がすぐ横まで来ていた。
促されるまま、社長と会議室に入る。
早朝ゆえスタッフは少なかったが、それでも事務フロアに数名の人間はいた。
いぶかしげな顔をしているプロデューサーに向かって、社長は笑いかけた。
「天海くんの仕事ぶりだが、最近は順調と聞いているが、君はどう思うかね?」
「…はい、特に問題なく、順調にやっていると思います。失敗もありますが、本人の努力と周囲のスタッフでカバーできていると思います」
「うん、そうだね」
「……」
社長が持って回ったような言い方をするのは珍しかった。
何か、言葉を選んでいるような、そんな気がする。
「まあ、なんというか…天海くんは、今16歳だ。まだ16歳と言ったほうがいいかな」
「はい」
「何かと今は…大変な時期だと思う。ちょっとした出来事、ちょっとした気持ちが大きく、過剰になっているかもしれない」
「……」
「正直、この年頃はなかななか不安定なものだということは、私が言うまでもない」
「……」
「君に任せておけば安心だと、私は思っている」
「……はい。しっかり、彼女を支えていくつもりです」
「うむ。言いたかったことは、これだけだ。では、今日も一日頑張ろう」
「はい」
心臓が、鷲掴みにされるというのは、こういうことだと、知った。
(社長は、俺に釘を刺した…)
目の前が真っ暗になっていく気持ちであった。
(社長は、春香と俺のことを誤解している?)
誤解だと、そう思った。
いや、誤解なのか?本当に誤解と言い切れるのか?
俺は、常に、春香のことを考えて仕事をしてきた。
いかに春香の歌を多くの人間に届けるか。
春香をいかに売り込むか。いかに春香を可愛く綺麗にアピールするか。
いかに春香の魅力を届けるか…!
「は、はは…は…」
なんてことはない。
なんてことはなかった。
とても、とても、簡単なことであった。
(俺が、俺自身が、いつの間にか、すっかり春香に参ってしまっていたんだ…)


「おはようございまーす!」
明るい声が、事務所に響いた。
周囲のスタッフと挨拶を交わしながら、まっすぐ自席にやってくる。
俺は彼女と目をあわせられない。
「おはようございます、プロデューサーさん」
「………おはよう」
「…………」
さしもの春香も、ちょっと違和感に気づいたようだった。
「プロデューサーさん?」
「い、いやなんでもない」
恒例の朝のミーティングを終えて、レッスンと仕事に向かおうとする。
「…あの、プロデューサーさん、ちょっとご相談が…」
今朝、社長と入ったばかりの会議室で、今度は春香と向き合っていた。
しかし、春香も会議室に入ってから珍しくもじもじしていてなにも切り出してこない。
さすがに、社長からあんなことを言われてからすぐに春香と二人で会議室にこもっているのも体裁が悪く、
「どうした、何か相談事があるんじゃないのか」
「……はい、実は……」
春香が、すうっと、一通の手紙を差し出す。
「……」
中身は…。
ラブレターだった。
高校入学時から気になっていたこと。一度一緒の委員会で話してから自分の気持ちに気づいたこと。
そんなありきたりのことが書いてあった。
できれば、一度デートして、ゆっくり話をしてみたいという。
(ああ…これは…)
なんてことはない、本当の、普通のラブレター。
いまどきこんなことで気持ちを伝えあうやつらがいるのかどうか、それとも世代を超えてこういう嬉し恥ずかしなイベントは続いていくのか。
すっかり大人になってしまっているプロデューサーにはもはやわからない世界だった。
ただ…相手は…。
相手は現役の、アイドルであること。
「あの…プロデューサーさん…」
「……」
「こ、これって、やっぱり、からかっていますよねっ。私、ファンレターとかもらって、その中でも結構ドキドキする内容のとかもらったりもするんですけれど、これって…」
「春香は…この手紙出した人、知っているの?」
「え…と…前に確かに何度か話したことはあって…でも、私はあんまり印象ないんです」
「そうか…」
もう一度文面に目を通す。
アイドルをやっていることを応援しているとも書いてあった。
必死な様子もあったが、それも年相応といえる。
「で、春香はどうするの?」
「えっ!?」
問われて、春香は目を丸くした。
「あ、あの…やっぱりでも、こういのって、いろいろとまずいかもと思って」
「それは、仕事の都合からだろ。春香自信の気持ちはどうなんだ?」
「…あ…それは…」
言い淀む。
「よく…わからないかも…しれないです…あんまり、覚えていないのが、実際だし…」
「だから、まずは試しに付き合ってみようって書いてあるよ」
「は、はい…でも…」
「……」
春香はうつむき加減に呟いていた。拳を膝の上に置いてぎゅっと握っている。
「でも、プロデューサーさん、それで、いいんですか?」
「なんで」
咄嗟に。
「なんで、そんなこと、俺に訊くんだ?」
心が波立っているのが自分でもわかった。
「あっ、その…」
春香の顔がかああーっと赤くなる。
その顔を見て、俺の口が勝手に開く。
「言っておくけど、恋愛を否定はしないよ。人を好きになるのは仕方ないことだし、素晴らしいことだと思う」
畳み掛ける。
「でも、そういう大事なことは、俺に判断してもらうんじゃなくて、自分で考えることだろ」
ああ、黙れ、この口。
オトナらしい、もっともらしいことを言うな。
「はっ…はい…ごめんなさい…」
口元を手で押さえた春香の目元に涙が溜まり、それが筋となってこぼれる。
俺は…今…春香を傷つけている…。自分自身も自分の言葉で切りつけている。
春香の嗚咽は止まらない。
「今日は、もういいよ、帰って」
「うっ…うっ…え?」
「今日は、こんなんじゃ仕事にもならないだろう?だから、今日は休みにする」
「あ、あの…でも…」
「…その代わり、来週は今週分もみっちり頑張ってもらうから。だから今日はゆっくり休んで、よく考えて」
「………はい。すみませんでした、プロデューサーさん」
「……」
春香が涙を拭いて口元にぎゅっと力を込める。
俺はこちらに向けられた視線から逃げた。
「……じゃあ、来週またよろしくお願いします」
「ああ」
春香はこちらにぺこりと礼をすると、会議室から出て行った。
「………………くそっ!」
机に拳を叩きつける。
何で、こんなに心がざわつくのだろう。
春香にひどいことを言ってしまった。
俺が社長に…ああ言われたことに動揺して…その苛立ちを…そのままぶつけてしまった。
可愛そうな春香。
だけれども…春香も春香だ。
俺に向かって、ラブレターなんて見せて…どうするつもりなんだ。
俺が止めろと言えば止めるのか。
そんなんでいいのか?
付き合えよと言えば付き合うのか?なんだそれは?
心のざわつきは収まらない。

とりあえず、今日は中で仕事をする気になれない。
外回りの仕事をすることにしよう。
そう思い立って、会議室を出た。

−続−


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