ある日の風景 X(2)


「…はい、その件でしたら、今回調整させていただきますので…はい、はい」
事務所内では、ひときわ明るい声が響いていた。
一本の電話が終わると、また次の電話。
次々と仕事の予定を入れては調整し、また次の企画の打ち合わせを入れていく。
それを遠くの席から音無小鳥は眺めていた。
「…………」
あの日、泣きながら会議室を出て行った春香を見送ってから数日。
プロデューサーと春香のコンビは、表立っては変化ないように思える。
二人は朝会うと挨拶し、社長とスケジュールを確認し、仕事に出かけていく。
また、あるときはオーディションに出ていったりもする。
スケジュールは、たしかにいつもと変わらない。
ただ。
二人の接し方は、明らかに変わっていた。
前は、プロデューサーに素直に向き合っていたはずの春香はどことなく遠慮がちになり。
一方でプロデューサーは何か春香を避けるような、よそよそしい雰囲気を醸し出している。
「…………」
プロデューサーは、明らかに空元気だった。
自分で自分を盛り上げている。
そんな様子を小鳥は自席に座りながらじっと観察していた。


街は次第に、クリスマスの装飾も華やかに飾り立ても目立ち始めていた。
しかし、芸能界の季節は早い。
スタジオの中では、すでに正月番組の収録が始まっている。
さしものTVも正月三が日は録画番組の放送に終始していることが多い。
毎度毎度のネタで、視聴者も飽きているかもしれないが、いや逆に、普段TVが見ないような人の興味を引く可能性もある。
そんなプロデューサーの考えのもとで、春香は積極的に正月番組の録画をこなしていた。
「あけまして、おめでとうございまーすっ!」
振袖姿も華やかに、カメラに向かって春香が手を振る。
「はい!カットです!」
お正月用のバラエティでも当然監督が入り、場面に応じてカットが入る。
「…………」
春香は、用意していた笑顔がおっとっとと崩れるのをなんとか抑えた。
「春香ちゃん、お疲れさまです。笑顔よかったよ!」
周囲のスタッフがねぎらいの言葉をかける。
またすぐに別のスタッフが振袖で暑いであろう春香のためにタオルを用意する。
加えて、ドリンクまで持ってきたりして、このままではケーキセットまで用意しかねない勢いである。
さしもの春香も最近…Aランクになってからの周囲の扱いには閉口気味である。
確かに国民的な人気を得ることになった春香も、素はまだ16歳の少女だ。
いい大人が愛想笑いを浮かべてご機嫌取りにやってくるのをみて、それに乗っかれるほど強気でもない。
春香をとりまく人垣から離れたところに、プロデューサーがぽつねんと立っている。
(プロデューサーさん…)
視線を送る。
できれば、この状況をなんとかしてほしいというサインのつもりであったが、
プロデューサーはその視線を避けるように携帯を取り出すとおもむろにどこかと話し始める。
「…………」

事件は、12月の24日に起きた。
クリスマスイブなどと、浮かれているのはTV局の周囲やロビーくらいなものである。
一歩スタジオの中に入れば、既に正月番組の収録も佳境であり、早いところでは一足先に終了して海外に出かけてしまうタレント達もいる。
その日、プロデューサーは仕事の契約関係の打ち合わせで、スタジオには同席していなかった。
春香はまたしても、振袖を着込み、新春特番の収録をこなしていた。
羽子板を持って正月ならではのイベント、羽根突きをやっている。
紋付袴の男性タレントと羽根突き勝負で、負けた方が顔に墨を塗る。お約束のイベントである。
シナリオでは、春香が男性タレントに対して今年の漢字で揮毫する際に使うようなでっかい筆で男性タレントの顔に墨を塗りたくるというストーリーだった。
「いくぞっー」
大仰な構えで男性タレントが気合の声とともに羽根をカツンとあげる。
しかし実際はなんでもないあたりだ。
それを春香が思い切りスマッシュをして、男性タレントは羽根打ち返せない。
そんな流れ。
だが。
「あ、あああっ」
春香が振袖の裾を踏んづけてしまい、そのまま顔面から床にびたーんと倒れてしまった。
同時に、びりびりびりと派手な音が響き、振袖の裾も思い切り裂けてしまう。
「…………」
凍りつくスタジオ。
だが、春香はむっくりと起き上がると、
「あは、あはははは。…ひさしぶりに、やっちゃいました〜」
そう言って苦笑いを見せる。
いつもなら。
いつもなら周囲はそれにつられるように笑いが広がり。
みな気を取り直して再度リテイクに臨むのだが。
「は、春香ちゃん…困るよ…」
監督は、心底困ったような顔をして飛んできた。
「あ、すみません…」
察して、笑顔を引っ込めて謝る。
「うん、ああ、春香ちゃんが悪いわけじゃないんだけどね…ちょっと!」
監督がスタッフを呼んでごそごそと話を始める。
なんでも、今回の衣装で使っているレンタルの振袖が残りこれ一着しかないらしい。
それを春香がドジで破いてしまった。
(どうしよう…こんなとき、こんなときにプロデューサーさんがいてくれたら…)
監督たちの打ち合わせはとりあえず終わったみたいだった。
「すみませーん、大変申し訳ないんですけど、ちょっとスケジュール変更しまーす。春香ちゃんの出番以外を、先に収録しますんでー」
スタジオからええーっという声があがる。
中には春香もよく知る大物タレントもいた。
春香をいまいましそうに見下ろしている。
(ううっ……)
「休憩入れますんで、15分後に再開でよろしくお願いしまーす。ああ、春香ちゃんは、今日はもう上がってください。明日、替えの振袖用意しますんで」
監督が春香に気を遣う。
その行動が、またスタジオの中の雰囲気を悪くする。
「……す、すみませんでしたっ」
春香は慣れない振袖で小走りにスタジオから飛び出した。


外は冬の曇天だった。
気温は昼過ぎからどんどん低くなり、吐く息も白い。
寒気以外にも東京の冬には珍しく雨雲が来ており、雨が降りそうな予感である。
楽屋で私服に着替えた春香は、車も断ってTV局から歩きで外に出た。
今はこれ以上、芸能関係の人間と関わりたくなかった。
お台場からゆりかもめに乗る。
さすが休日。カップル、家族連れなどが多い。
帽子を目深に被っていれば、だれも春香のことなど気にすることもなく、それぞれの世界に没入している。
春香は終点の新橋で降りる。そのまま、外堀通りをまっすぐに進む。
休日の、人通りの少ないオフィス街をただ春香は歩く…。


プロデューサーがTV局に戻ったのは、夕方も大分回った頃だった。
春香の終了スケジュールに合わせて局まで迎えにいったはずだったのだが、スタジオに入ると監督が恐縮そうな顔をしてもみ手をしてくる。
事情を聞いて、舌打ちした。
(しまった…)
それは、たしかにプロデューサーも最近感じていた懸念する事態だった。
誰もが認めるトップのアイドルである春香に、スタッフが遠慮し始めている。
よくない傾向だった。
Aランクだからといって本人を敬して遠ざけるようになってしまったら、誰が春香の誤りを指導するのだろう。
今のところ、天狗になって周囲を顎で使うような様子は見受けられないが、いずれ勘違いしはじめるやも知れない。
そんな増長を許してくれるほど芸能界は甘くない。
(そして、それを招いてしまったのは…俺の責任でもある…)
先日の出来事がきっかけだった。
その後、忙しさにかまけて春香の周囲をよく観察することもなく、ただ漫然と過ごしてしまっていた。
春香の周囲に起きている出来事から目を逸らしてしまっていた。
「それで、春香はどこに?事務所に戻ったのですか?」
「ええ、そのはずですが…車は使いたくないと言われてましたが」
プロデューサーがTV局を出ると、曇天の空からぽつぽつと雨が降り始めてきた。
冬の雨は、気分をいっそう憂鬱にさせてくれる。
まずは、春香の直通の番号を鳴らした。
…出ない。留守番電話に直接繋がってしまう。
これは、よくない。
芸能界の人間は、連絡が取れてなんぼである。
事務所関係者の電話にはできるかぎり出るように普段から言っている。
仕方なく今度は事務所の番号を鳴らすと、きっちり2コール目で音無小鳥が出た。
「俺ですけど、春香は戻っていますか?」
「いいえ、まだこちらには戻ってきていませんよ。…なにかあったんですか?」
「ああ。春香の予定が繰り上がっから、事務所に戻ったのかと思ったんだけど…そうか、そっちにはいないのか…」
「あ、あの」
「はい?」
「差し出がましいかもしれないのですけれど、最近、お二人に何かあったのかなーって思いまして」
「……まあね」
素直に認めた。
「…春香さんには、プロデューサーさんしかいないので」
「ああ」
「どうか、よくお話されてください」
「ああ。ありがとう。」
電話を切る。
TV局の正面入り口から空を見上げる。
雨がやむ気配はない。その割には気温は低く、底冷えがする。
(こんな天気で…どこにいるんだ…春香…)
自宅に連絡しようかとも思った。
だが、それは最後の最後だ。
いくら春香でも、自宅に逃げ込んでいるとは思えない。
とりあえず、普段通っているレッスン場やスタジオに電話をかけてみる。
なじみのスタッフ達は皆は春香と共に下積みの頃から付き合ってきたメンバーである。いわば、春香の身内でもある。
そこにいれば…。
だが、結果は。
どこにも春香はいなかった。


こんなとき…どこに、どこに行けば。
どこにも動けず逡巡していると、着信があった。
社長からだった。
「ああ、すまないね。今大丈夫かい?」
「はい。…実は…」
「いや、小鳥君から聞いたんだ。天海君が見つからないのかね?」
「…はい。すみません。社長に注意をされていながら…」
「うむ?いや、注意はしていないが…。とにかく、全力で探してくれたまえよ。
心当たりはあるかね?」
「それが…関係ありそうなスタジオ等には連絡してみたのですが…」
「ふうむ…行きそうなところ…」
社長と話しているうちに、あるイメージが浮かんできた。
春香が行きそうなところ。そして、今一番行きたいであろうと思っているところ。
「社長。ちょっと場所に心当たりが。そこに向かいます。…それと、大変申し訳ないのですが番組側へのフォローを」
「ん?ああ、わかった。そっちは任せてくれたまえ。」
社長にお願いをするのはちょっと悔しかったが、緊急事態だ。仕方ない。
車を出してもらって、とある場所へ向かう。

もとより陽などさしてはいなかったが、あっという間に外は暗くなっていった。
目指す場所は――。

――日比谷公園大音楽堂。

春香と俺が、最初に、いや、二度目に出会った場所。
車から飛び降りて、薄暗い周辺を見渡す。
雨が降る公園内はさびしく、人の気配も少ない。
(こんなところに…春香がいるのか…?)
音楽堂に近づくにつれ、不安が増してくる。
まさか、こんな冬の雨の夕暮れに、野外の音楽堂で…。


いた。


春香が、一人、音楽堂の客席近くにたたずんでいた。
俯いては、顔を上げ。
何かを口ずさんでいるようでもある。
しとしとと降る雨音に消されて、それは聞こえない。
「……春香!」
声をかけ、小走りで駆け寄った。
びくっと肩を震わせると、おそるおそるという感じに春香は顔を向けた。
「プ、プロデューサーさん…」
びしょ濡れになっている春香を抱え込む。
「どうしたんだ…こんなところで…いや…こんなに…」
言葉が続かない。
「プロデューサーさん…私…なんでこのお仕事やっているのか…わからなく…」
春香も、最後は言葉にならなかった。
プロデューサーに抱きかかえられるままにしがみつき、言っているうちから涙がこぼれてきて、嗚咽に取って代わる。
「すまない…春香…俺がいけなかったんだ…」
春香は埋めていたプロデューサーの胸元から顔を上げると首を振った。
「いえっ…違いますっ。私が、私が…もっとちゃんとしなかったから…」
雨が容赦なく春香の顔を打つ。
その中に春香が生み出した雫が混じり、共に頬を濡らす。
「それも全部、俺の責任だよ。……さあ、とりあえずここを動こう。このままじゃ風邪を引く」
促して、春香を抱えるように車に戻る。
「…どちらまでに、しましょうか」
運転手が控えめに尋ねた。
「そうだな…事務所に…」
「あの」
言いかけたのを、春香が遮った。
「あの、今日は…今日だけは、事務所に戻りたくないんです」
「…じゃあ、家まで送ろうか」
「家は、そのぅ、ちょっと遠すぎますし…今家に戻ると…本当に自信がなくなってしまいそうで…」
「そうか…」
春香がじっとこちらを見つめてくる。
「じゃあ、うちに来るか、春香。……汚いけど」
「…はい」
ほうっと、安心したようなため息とともに、春香はうなずいた。


プロデューサーの家は、おっどろきの高級マンションだった。
ゆうに100平米以上あるかと思われる広さ。
「すっごい、こんなお部屋に住んでらっしゃったんです…か」
しかし、部屋の乱雑さもそれ以上だ。
まなじっか広いことをいいことに、多くの友人知人を呼んではパーティという名の下に飲み会を開いているので
廊下の右隅にはワインや洋酒のボトルがずらりとならび、左隅には芸能関係の色々な写真集やらビデオやらレコードCDなどが転がっている。
それでも、本当に広さだけはある部屋なので、物に囲まれてはいるが足の踏み場がないというわけではない。
「まってろ、今風呂沸かしてくる…っと、それに着替えだな」
びしょぬれの春香の服を替えてやらないといけない。
しかし、今手元にある自分の着替えといったら…ロクなものがない。
さすがに自分が寝るときに着ているジャージではダメだろう。
「これ…で我慢してくれないか…いま、ロクなのがない…」
春香に渡したのはクリーニングが終わっているYシャツだった。
「は、はい…」
さしもの春香もちょっと驚いたが、素直にYシャツを受け取ると脱衣所で服を着替えた。
乾燥機の使い方を教えてやり、今の私服を乾かす。
そうこうしているうちに風呂が沸いた。
「春香、入ってきな」
「…は、はい…」
顔を真っ赤にして春香は脱衣所の扉を締めた。

春香に風呂に入ってもらっている間に、いろいろとやらねばならないことがあった。
まずは社長へ連絡を入れなければならない。
「もしもし」
「おお、どうだったかね。天海君は見つかったかね」
「はい。なんとか合流できました。それで、今日は…時間も遅いので…私の家に泊めることにしました」
「……」
電話の向こうでも、社長が息を飲むのがわかった。
「それは…」
「はい、勝手を言ってすみません。ただ、自分もわきまえているつもりです」
「…わかった、君を信じるよ」
存外にあっけなく、社長は引き下がった。
仕事の件は問題なく処理できていた。明日には滞りなく収録再開できるとのこと。
さすが社長だ。
ほっとして電話を切る。
次は、台所関係だ。
まずはお湯を沸かす。
食材は常に人が来ることを想定してそれなりに買い揃えてある。
お手軽に用意するならパスタがいいだろう。
何か忘れているような気もするが、今は目の前のことの処理に専念。
やがて、春香がからからと、脱衣所の扉を開けて出てきた。
「すみません、お先に上がりました」
やはり、風呂に入って安心したのか。湯上りの表情にはほこほこと生気が戻ってきている。
「ああ、ちょっとソファに座っていてくれ。今お茶でも入れる」
「はい」
促されるままに春香はソファに腰を下ろす。
ガラステーブルにも多くの雑誌が乱雑に置かれている。
春香の画が載っているものもあれば、二人で仮想ライバルと目しているアイドルの特集などもあった。
サインペンで記事に線がひいてあったり、コメントが書き入れられていたりする。
そんな雑誌の中に、A4のノートが紛れ込んでいた。
プロデューサーがまだ台所にいるのをいいことに、春香がちらりとノートを開く。
それは、今までの、活動記録のノートだった。
春香と今までやってきた仕事。受けてきたオーディション。
それらが、膨大なメモや写真などとともに、スクラップされていた。
もちろん、春香も自分が出た雑誌や記事をスクラップにしていたり、番組をDVDレコーダーで保存していたりはする。
しかし、プロデューサーのそれは、まさにメモ、コメントの嵐だった。
企画書の一部を貼り付け、その上に蛍光ペンで線を引き、ボールペンで判読も難しいメモが殴り書きされている。
今までの仕事の履歴。
まだ駆け出しだった頃の写真撮影際の記録。
ラジオ出演の記録。
雑誌の取材の際の記録。
プロデューサーのメモのほかに、付箋で書かれているのは、春香の意見のメモ。
仕事をしていた当時、春香が残したコメントまでもが、箇条書きの形で残されている。
言った当人ですら、もう忘れてしまいかけているのに…。

もう、ここに来たら泣かないって決めたのに…。
涙で視界が霞んでしまう。
プロデューサーさんはいつだって…いつだって、私のことを見守ってきてくれた。
私の道を示してくれた…。
私の今までは、それに乗っかっていただけ。
プロデューサーさんが一生懸命に考えてくれた道を、進んできただけ。
「春香、ココアにしたぞ…って、どうした?」
「プロデューサーさん…」
再びしゃくりあげている春香の隣に座った。
春香はそれを待たず、プロデューサーの胸元に飛び込む。
野外音楽場の再現。
しかし、今度は。
春香は風呂上りに俺が与えたワイシャツ1枚の姿である。
か細く、しかしとてつもなくやわらかい猫のような肢体がぎゅうっと自分に預けられる。
「私、本当に…プロデューサーさんに感謝しなくちゃいけなくて…でも、今日とかプロデューサーさんがいなくて、とても不安で…」
「…………ごめん」
「私、プロデューサーさんがいないと、ダメなんです…。
いつの間にか、私は、私を応援してくれるプロデューサーさんのために頑張りたいっていう気持ちになっちゃっていて…それはホントは間違っているとは思うんですけど…でも…でも…」
プロデューサーは、濡れた春香の頭を撫でる。
春香はプロデューサーの目を見据えた。
「プロデューサーさん…」
「うん」
「私を…抱いてください…私…もっと…プロデューサーさんの側に…いたいんです」
潤む瞳。
赤く染まる頬。
艶やかな唇。
なにもかもが、自分を甘く誘う。
…欲望はある。
自分が育て上げていると言っても過言でない少女。
まさに花開く寸前の少女を自らの手で摘み取る。
なんて、甘美な、誘惑。
しかし、それ以上に。
春香を、本当に愛おしいと感じた。
欲望よりも、さらに近く、深い。
だから俺は。
それを行動で表す。

額にちょっぷ。
「あいた」
反動を受けて春香の頭がかくっと後ろに下がる。
続けてもう二度ばかりちょっぷちょっぷ。
「いたっ、いたっ」
涙目になったのを見てやさしく自分の胸にかき抱いた。
「10年はえーよ、春香には」
ちょっと乱暴な言葉になった。
腕の中の春香がいやいやと逃れようとする。
それを許さず、俺はしっかり抱え込むと、右手で春香の肩から背中までをゆっくりと撫でる。
二、三度それを繰り返すと、春香の抵抗もなくなった。
「もう一度、考え直そう。俺たちが今後どうしていくかを。今までどうやってきたかを振り返って、また明日からどうやっていくか。
何のために、やっていくかを考えよう」
頭から肩、そして背中とゆっくりと撫でながら、噛んで含めるようにして話す。
腕の中の春香がこく、とうなずいたのがわかった。
「俺はいつでも春香の側にいるよ…たとえ、お互い離れていても…俺は…いつも春香のことを考えている。
ふふっ、むしろ気持ち悪いぞ、そっちのほうが」
「そっ、そんなことないですよ!」
自嘲気味な俺の言葉に落ち着きかけていた春香が猛然と反論してきた。
「プロデューサーさんは、いつも、かっこいいですし、その、なんというか、なんだかいい匂いがするんです」
そう言うとまた自分の胸に顔を押し付けてきた。
お互いが、お互いの肌を感じあう時間――。

それは、鍋にいれた水が噴いた音によって突然終わらされたのであった。



リビングにて二人で向き合い、パスタをつるつるとすする。
「そういえば、今日ってクリスマス、なんですよねえ」
春香がしみじみと呟いたので、俺は笑ってしまった。
「そうだね、そんな日にここでパスタ食べてるなんて、全然季節感がないね」
せめてケーキでもあれば、と二人して力なく笑う。
食べ終わった後、まずは春香の家に連絡を入れさせた。
今日は東京で泊まると伝える。
「うん。プロデューサーさんが、お部屋取ってくれたから、大丈夫。うん。また明日電話するから。はい」
ちくり、と胸に罪悪感の針。
いつか…春香のご両親に今日のことを打ち明けて、詫びる日が来るのだろうか。
その後、俺が風呂から上がると春香は部屋の家捜しをしている真っ最中だった。
別に何をみられても構わない…はず…なので、放っておく。
すると、
「わっ、なんでこんなに写真集が…それも…あの…」
妖艶なポーズをとっているタレントの裸体に慌てている。
「結構参考になるだろ。ほら、このカメラマンさんは、春香のときもいただろ」
「う、うわーっ、うわーっ、このポーズ、私のときと結構似てる。…水着無しだ
とこんなに…」
「ネットでは結構評判だね。水着がなかったらこう見えるに違いないって」
「え、え、ええええええー?」
そんな時をすごす。
しかし、それにも限度がある。
俺が新しい資料を資料を持ってくると、春香がうとうとしていた。
一生懸命起きようとしていてページを繰っていても、全然目が追いついてないのを見るのは楽しい。
「春香…そろそろ寝ようか」
「はっ!あ、そ、そうですよね。明日に備えて…眠らないと!」
春香が、何に緊張しているかは大体想像がついた。
「一緒に寝る?」
「え、ええええ?」
そこまで驚かれると、少しショックでもあった。
「い、いや。ごめん。そんなつもりじゃないんだよ」
「あ、こちらこそ…すみません」
二人でもじもじしてしまう。
寝室に移ると、春香もおとなしくついてきた。
…我ながら物が多すぎる部屋だ。
ベッドを中心にあらゆる雑誌・本・写真集がちらかりまくっている。
ついでにベッドからTVを見るポジションになっているのでDVDも山積みだ。
春香は枕元に自分の写真集があるのを目ざとく見つけると、ラグビーのトライをするような格好でベッドにダイブした。
ワイシャツ一枚の格好で、そういうことをやられると、非常に刺激が強いのだが…。
先ほど格好つけた手前、頑張って堪える。
大して大きくはないベッドだが、春香の横に俺も寝転がると、さすがに距離が近くなる。
「いっつも、ここに置いているんですか?これ」
春香が写真集を指す。
「ああ。明日の予定を考えてから、寝る前に眺めてるよ」
「えへへ……へっくち」
照れ笑いをした春香が急にくしゃみをする。
空調はきちんと効かせていたつもりだが、少し肌寒さを感じる。
体を起こして、ブラインド越しに窓をのぞく。
雪が降っていた。
道理で寒いはずだ。
「雨は夜更けすぎに…雪へとかわるだろうってか…久しぶりだね」
「うわぁ…この時期に東京で雪ですか…」
春香も俺の隣で、静かに降る雪を眺める。
結局、クローゼットから毛布をもう一枚出して重ねて眠ることにした。
暗闇の中、お互いが無言で見つめ合う。
やがて、無言のまま春香が身を寄せてきた。
触れ合いながら、お互いを感じながら目を閉じる。

翌朝、二人はほぼ同時に目を覚ました。
なぜだかおかしくて、二人でくすくすと笑う。
「おはようございます。プロデューサーさん」
噛み締めるように呟いた春香を強く抱き寄せる。
マンションの玄関を出ると、わずかではあるが、周囲は雪化粧を纏っていた。
「うわーっ、綺麗ですねえ」
先に出た春香が驚きの声をあげる。
「……」
それは、確かに――。
綺麗な光景であった。
まるで、自分たち二人の現在(いま)のようであると。
新雪に足跡を残そうと、嬉しそうにステップを踏む春香。
互いの気持ちを地表とすれば、昨日の出来事はそれを薄く彩る雪のようなものであった。
雪はまたいずれ融ける。
そのとき俺たちは、どんな結論を出さなければならないのか。
まだ俺には――俺だけでは、答えは出せそうにない。



−終−


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