VSレッドショルダー


新進のアイドルとして順調に頭角を表してきた伊織。
俺はプロデューサーというよりもむしろお供のようになっているが、彼女のワガママにも慣れてきた。
いや、むしろあれが伊織なりのコミュニケーションなのだろう。

伊織は生まれてから演じることを余儀なくされている子だ。
生の感情をぶつけてくること、それは信頼の証でもある。
最近はそう思うようになってきている。

だから…
「もう、アンタ、ジュースはこの銘柄じゃないって前に言ったでしょ〜!
 置いてあるのはクイーンズだけなんだから、ちゃんとそこに行ってきて買ってきなさいよー!」
…こんな罵声と共に最後事務所を追い出されても平気である…たぶん。

そんなこんななある日…
「そろそろマスター系のオーディションにチャレンジしてみないかね?」
朝の挨拶もそこそこに、社長が切り出してきた。
「マスター系オーディション?」
伊織は素直に興味を示す。
「そうだよ。キミ、水瀬君に説明してあげたまえ」
とうとう、きたか。この時が…。

ヴォーカル、ダンス、ビジュアル各マスター系の説明を簡単に終えると、最初はふんふんと聞いていた伊織もだんだんとこめかみのあたりを震わせてきた。
う、やばいかも。
「な、なんで、そんなオーディションがあることを早く知らせないのよーっ!」
「いや、だからもう少しレッスンを積んで、確実に1位を取れるようになってだな、それに…」
「アンタの言い訳なんて聞きたくないのーっ。さっさと受けるわよ!そして合格っ!
 こんなところで足踏みしている暇なんてないんだから!」
伊織は俺が持っていたエントリシートをふんだくると勝手に記載事項を書き込み始めた。
…なにをそんなに焦っているんだ、伊織…。


結局自分たちのイメージと相談した結果、最初にヴォーカルマスターを受けることとなった。
正直、最初にヴォーカルを受けるのは気が引ける。
衣装やアクセサリーを変更することでイメージの調整もできるのに、伊織はなぜか現在の流行でもあるヴォーカルのままでこのヴォーカルマスターを受けたがった。

現在の伊織の実力を客観的に考えても、おそらくヴォーカルマスターの獲得は十分であろう。
しかし…俺は…このオーディションには…。

会場入りの前からも胸騒ぎがやまない。
そんな俺に構わず伊織はずんずんと先頭を切ってスタジオに入り、無造作に控え室の扉を開く。
遠慮のない仕草。控え室内の視線が一気に集まり、瞬時に場に緊張が走る。

伊織は集まる周囲の視線をゆっくり睥睨すると、部屋の中を突っ切り、部屋一番奥の椅子に腰を下ろした。
場の雰囲気がゆっくりと弛緩していく。
俺が部屋入ろうとすると、
「久しぶりだな」
一番聞きたくない声を聞いた。

「どうも…“メルキアX1”さん」
愛想笑いを張り付かせる。無事に成功しているだろうか?
「また…我に挑むというのか…」
くっくっ、と喉の奥で笑う。
「せいぜい、手塩にかけた君の娘の力量、見計らせてもらうぞ」
くるりと背を向けると、壁際によりかかる。
その様子を面白そうに眺めているチューリップハットの男。
(ち…悪徳もいるのか…厄介だな)
目線をメルキアX1に向けると、幽鬼の笑みを返された。

伊織の隣に座る。
今日のオーディションの要綱をもう一度確認しようとプリントを開こうとしたが、手が、手が震えて、なかなかうまく開けない…。
伊織は黙って俺の仕草を眺めている。
やがて、審査員たちが入ってくる。
申し込み順番順に整列した受験者たちが緊張した面持ちで審査員を見つめている。
「それでは…代表して1番、今回の意気込みを」
ヴォーカル担当の審査員が伊織を指す。
(伊織、ここは…)
カンペを渡そうとしたが、伊織はそれを見ず、
「私をしっかり見てね〜!」
と…ほとんど、怒鳴る一歩前のような声で答えた。
「た、大変よいお答えですね…本番では期待しています…」
面食らったのか、つい褒め言葉が出てしまった審査員に対し、
「はあ〜〜い、ありがとうございま〜す!」
またしても伊織の大声が部屋に響く。

受験者たちは審査会場に向かう。
なにか、今回のオーディションは変な雰囲気である。
そんな戸惑いの表情を浮かべながら。
元凶である伊織は俺の方を見もせず、一人先頭をどんどんと進む。
そして、舞台袖まで来たときにくるりと俺に向き直った。
遅れてついてきた長い髪が僅かに散れた。
「あんたが何をビビッているか知らないけど」
「……」
「私は、バカにされるのが大嫌いなの。だから、今の私はす〜〜っごく不機嫌」
「あ、ああ」
「ほんとにわかってんの!?」
伊織の目は真剣そのものだ。
…正直、俺には伊織が何に怒っているのか、皆目見当もつかない…。
「アンタが今までなにやってきて、誰をプロデュースしてきて、どんな結果になってきたか、私が知らないとでも思ってんの?
そんなのパパにお願いするまでもなく、新堂にでも聞けば丸わかりなのよ!」
「……」
「もっと言わないとわからない?じゃあ、言うけど、あんたが前受け持ってた子、マスター系が通らなくて、結局それで辞めたんですってね」
「!」
射抜かれる、とはこんな感じなのか。
伊織の目、伊織の言葉が氷の矢になった胸元に突き刺さった気がした。
貫通点から、冷え冷えとした痛みが広がっていく。

…そうだ。
前に、共に頂点を目指そうと約束した子がいた。
分刻みのスケジュール、厳しいレッスン、オーディションのプレッシャー…。
仕事の終えた後、夕方夜にもレッスンを重ね…Aランクアイドルになるべく努力を重ねていた。

そして、Aランクになるがための必須条件。
マスター系のオーディションに挑んだ…。
だが、そのたびに。
そのたびに自分たちの前に立ちふさがってきたのが…メルキアX1の率いるユニット、レッドショルダー。
彼の実力は魔王、覇王を率いる真最強、最強プロデューサーに次ぎ、雪月花や花鳥風月を率いる長田や美肌という有名プロデューサーに並ぶとも言われている。
メルキアX1、奴の壁が…どうしても、超えられなかった。
俺がプロデュースしていたその子は、相次ぐ敗北に傷つき、疲れ、そして…芸能界から身を退いた。
「そうだ、俺は、まだこのヴォーカルマスターを獲ったことがない。正直、獲る方法もわからない…」
「はっ!」
伊織が鼻で笑ったことに気づくのに時間がかかった。
「そりゃあ、アンタみたいなへっぽこプロデューサーがいくらそこらの馬の骨にレッスンしたところで、勝てるものも勝てないわよ」
「……」
「だけど!」
伊織の目は潤んでいた。
「あんたは、今この私のプロデューサーなの!私だけの!あんたが前に誰をプロデュースしていたかなんて私には関係ないわ!」
「伊織…」
「前に言ったと思うけど、私は勝つためにここにいるの。勝つためにあんたのへっぽこなレッスンにも付き合ってあげているの。
私が、この私がこんなことまでしているっていうのに、それでもアンタは私が勝つことを信じられないっていうの?」
「……」
「そ、それに…」
昂ぶった気持ちがわずかに落ち着いたのか…伊織は言いよどんだ。頬が紅潮してきている。
「…アンタはへっぽこだけど…アンタのレッスンで勝てないとは思ったことは…ない」
「…伊織?」
「あああーっ、もう、うっさいうっさい!アンタ、自分が教えたアイドルがどんな戦い方するか、ちゃんとその目開けて見てなさいよ!」
くるりと背を向ける。
そしてそのまま…伊織は…メルキアX1のところまですたすたと歩いていく。
「……」
メルキアX1の冷たい眼光が伊織を見下ろす。
伊織はそれを無表情で受け止めた後、にっこりと笑った。
「以前、私のプロデューサーがお世話になりまして。ありがとうございました」
「……」
「今日はどうぞ、お手柔らかにお願いいたしますね」
あくまでにこやかに。
口の中だけで呟いた。
「教育してあげる」

さっと身を翻し、情けない顔をしているプロデューサーのところへ戻る。
不安げなプロデューサーの顔を見て、伊織はため息をついた。
本当に、なんて締まりのない面をしているのだろう。こんなへっぽこが私を教えているなんて今でも信じられない。
だが…あの、人の気なんか気づくはずもない唐変木がビクついちゃっていて。
自分のレッスンにまで自信がもてなくなっている。

そんなのは許さない。
この水瀬伊織をプロデュースしているプロデューサーには、そんな弱気は認めない。
ならば、あのへっぽこのレッスンが正しいことを認めさせるのは、私の役目だ。
私が勝って、私が真の一流であること、そして、それを率いているあのへっぽこも…
まあ、一流アイドルの私の下僕であること。
それを周りに知らしめてやらないといけない。
「い、伊織…」
へっぽこが何か声をかけようとしている。
この土壇場になって何か具体的なアドバイスなどない。どうせ応援することだけだ、って思考でなにか言ってくるだけだろう。
「ぜ、絶対勝てるぞ!」
「……」

がくっ。

…本当にもう、なんでこう安請け合いするかなこの馬鹿は。
ああもう時間だ。せっかくの決意も台無しだ。
「いってきまーす」
その一言だけ残して、舞台に向かう。

そのくせ、不思議に怒り肩が下がっていることに伊織は気づかなかった。

オーディション用の簡易スポットライトが落ちる。
Here we Go!!のイントロ、チャイムが鳴る。
伊織は軽くステップを踏む。体は軽い。
声もよく通る。
調子は万全だ。


 ――そこでちゃんと見てなさいよ。
 アンタの教え子が、アンタの壁ってやつをかる〜く超えていくトコを!


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