実家ミーティング その後



伊織の庭…庭園でのミーティングは、とりあえず終わった。
豪邸の御宅拝見みたいな感じになってしまったが、ご満悦な伊織を見ていると別段文句もないであろう。

「…失礼します」
名前を呼ばれて、振り返ると、水瀬家の執事である新堂さんが控えていた。
うやうやしく一礼されて、こちらもあわてて頭を下げる。
「当家の主人がご挨拶をしたいとのことです」
それはつまり…伊織のいうところの「パパ」とのご対面ということだった。

俺だけ呼ばれたということもあって、正直不安である。
伊織はくるくるくると何回か表情を変えた後、あまり興味がないように「じゃあいってらっしゃい」などと言い残すとあさっさと屋敷に戻ってしまった。

庭先の東屋に案内される。
以前伊織には機会があったら父親に挨拶をすると言ってはいたが、まさかこんなに早くその機会がやってくるとは思わなかった。
しかし、考えてみればいい頃合なのかもしれない。
タイミングは大分遅くなってしまったが、今までの活動を家庭にきちんと報告するのも、大事な娘を預かっているプロデューサーの義務だ。

そんなことを考えて東屋の椅子に座っていると、
「失礼。待たせてしまったね」
と、渋い声をかけられた。
「あ…!いえ、こちらこそ、お邪魔しております」
立ち上がり、胸ポケットに入れていた名刺を出す。
出して、心のうちで後悔する。
(相手は当然俺のことを知っているだろうに…)
しかし、向かいの紳士は何も気にすることもないようで、自然な姿で内ポケットから名刺を取り出し、俺の名刺と交換した。


「……まったく、何でいまさら名刺交換なんてやってんのよ」
屋敷の別室。豪華な建物に似合わないモニタや制御盤が並べられたこの部屋は、水瀬家の警備室である。
伊織はその一角でモニターを眺めつつ、ヘッドホンを片耳に当てていた。
「いくら事前に情報を入れているとはいえ、お互い初対面です。ビジネスのマナーです」
「……かっこわるいの」
そう。伊織はこの東屋の模様を遠方から監視しているのである。
後ろで同じようにヘッドホンを当てているのは執事の新堂。
無理やり共犯に仕立てられているが、特段文句も言わずに伊織に従っている。


「なかなか生にTVで見ることはないのだが、先日移動時間に録画してあった番組を観ることができましたよ」
「そうでしたか、あの時お嬢さんは…」
水瀬父の会話はさすが社交にも長けた人物。話題の選び方も的確であった。
まずは伊織の一日の大まかなスケジュールについて訊ね、答えるといくつか補足の質問をして大いにうなずいたり、驚いたりしている。
また、オーディションの舞台裏にも人並みに興味を示し、交友があるという社長の近況も喜んで聞いていた。

と、ここまで流れるように会話をしていて、気づいたことがある。
…まるで、俺がヒアリングされているようであること。
もちろん水瀬父自身の仕事の話も織り交ぜて、会話が一方通行にならないようにキャッチボールを続けている。
が、一方で必要かつ重要であることを短時間に報告させられているような気分になる。
そもそも、伊織の父親に活動をきちんと報告することが目的であったので、テンポよく進むことは歓迎だ。
しかし…さすが、水瀬家の主。そうと気づかせないうちに事を進めていくとは大事業家というのも伊達ではない。
「いや、よくわかりました…。いつも伊織がご迷惑をかけていて申し訳ありません」
「いえ、そんな…。お嬢さんの才能にはいつも驚かされます」


「……」
盗み聞きしている伊織の頬のあたりがぴくっとつりあがるのを新堂は確認したが、黙っていることにした。


そのまま話は終わるかと思ったが、流れを変えるかのように水瀬父はゆっくりと身を前に乗り出してきた。
「時に…………潮時ではないかな?」
「……!!」
…やはり、その話題が出てきたか…。
ついこの前、家出をしてきたと言う伊織。
結局あの時はうやむやに話をまとめてしまったが、水瀬父にしてみれば思いは変わっていないのはうなずける。
「確かに、高木くんのところに話をつけたところまでは認めていた。どうせままごとのひとつであろうと、高をくくっていた部分もあった…」
「……」
「CDを出し、写真集を出し、TVにも出た。これで、十分ではないかね?」
「……」
「今回はあれにもいい勉強になったと思う。今後なにかの大きな舞台に出たとしても、その経験が活きてくるだろう。
そろそろ、本業の勉強に戻してやりたいと思うのだが…どうだろうか」
「……」


ヘッドホンを握る伊織の手が小刻みに震えている。
おそらく、唇も同様に震えているであろう。
新堂はこういう伊織を、幼い頃から幾度となく見ていた。
伊織はいつも体をわななかせながら、父の言うことを聞いてきた。
今回もまた、同じことになるのであろう。
新堂はかける言葉をもっていない。


東屋では沈黙が降りていた。
というか、実際今は俺の回答待ちというターンだ。
…別にその気になればターンもくそもなく、実家の都合、特に水瀬家ほどの影響力を持つ家であれば、引退に伴う影響もすべて巻き取った上で伊織を引っ込めることなど容易であろう。
だったら、現場の一プロデューサーの俺の意見などぶつけたところで、なんら決定に左右はあるまい。
ならば。
だとしたら。
「確かに…お父様がそうおっしゃられるのであれば。私たちはお嬢さんをお預かりしている身です。
ご家庭でそうお決めになられたのならば、それに従わせていただきます」
「……」
一気に言ったが、水瀬父は言葉をかけてこない。
視線は厳しく、俺を見つめているが…まだ、俺の言葉を待っているようだ。
まだ、言っていいのだな…。
「しかし今、お嬢さんはとても大切な、とても大事なことにチャレンジしているのではないかと、私は思っています」
「……」
水瀬父はほう、と視線を弱めた。おもしろそうに口の端をあげるのは伊織そっくりの仕草だ。
「たしかに、お父様のおっしゃられるとおり、お嬢さんはCDを出し、TVに出ました」
「……」
「お嬢さんは結果を欲しがっています。その理由…それは、口に出しては言っていませんが…おそらく私が考えるに」
俺はいったんそこでつばを飲んだ。
「お父様、あなたに認められたいからだと思います」
おそらく伊織に面と向かってそんなことを言ったらら烈火のごとく怒り出すであろう。
だが、うすうすはわかっていた事だった。
それを、はっきり言葉にして、相手にぶつけてみる。

水瀬父は、困ったように腕を組んでいた。
「……ふむ。私としては十分よくやったと、認めているつもりだが…」
……。
たしかに、そうだった。
なんてうかつなんだ、俺は。
しかし、なにか。
そうじゃない、違う、と心が騒いでいる。
この違和感を、きちんと相手に伝えないといけないと俺の背を叩く。
「…お父様は伊織の成果を認めたとおっしゃられました。おそらく、伊織がそれを聞けば本人は喜ぶでしょう。
ですが…それでは、それではいつもと同じなのです。それではおそらく、昔からのやり方と同じと…思ってしまうのです」
「ほう」
再び、組んだ腕を解いて、聞く姿勢を取ってくれるのがありがたかった。
「伊織は、才能豊かな子です。レッスンをしている私の教え方が悪いと、激しい言葉をぶつけてきます。
でもそれも、きちんと結果を出すためのプロセスとわかっているからこそです。
一方で、アイドルといっても地道な営業、販促活動があります。それこそどぶ板のように個別に回ってお願いすることから始まりました」
「……」
「伊織は…文句も言い合いましたが、やってくれました。
それが次の大きな仕事につながり、また厳しいレッスンがオーディション合格に結びつき、積み重ねで今のところまできました」


震えていた伊織の肩が、別の意味に取って代わったということに新堂は気づいた。
音もなく、新堂は伊織の後ろからさがり、警備室を出た後、この場所の人を払った。


だんだんと、俺の中で感情の本流が理性の堰を押しやっていくような気がしていた。
水瀬父が黙っていることをいいことに、さらに言葉を重ねていく。
「お父様は、もう十分結果を出したとおっしゃられましたが、いえ、そんなことはなありません。
伊織はもっと、もっと大きな結果を出します。今、あの子が望んで
いるのはお父様や、お兄様が想像している以上の大きな結果をあげること。
お父様やお兄様が本気で驚いて、腰を抜かすところまで見届けて、やっと結果を出したと笑うでしょう…」
「……」
「いや、もしかしたら、もう本人には、家族の問題というのではなく、自分の力でどこまで挑戦できるか、それを存分に試してみたいという気持ちしかないのかもしれません」
「……」
「私にはこの先伊織がどこまで伸びていくのか、想像もつきません。どんな結果をもたらすことになるかも、とても考えられません。
私ができることはあの子の才能を最大限伸ばすための努力をすること。そして、あの子のためになる仕事を取ってくること。それだけなのです。
 お父様、どうか、伊織のチャンスを見守ってやってはくれませんか。学業や生活についてのご心配は、私が保証します。随時きちんと報告いたします。
どうか、伊織がいまチャレンジしていることを、引き続き応援してくれませんか」


ばか…ばか…ばか…。

手の甲に涙が落ちる。

私のこと、なんにも知らないくせに。
パパとのこともぜーんぜん、知らないくせに。
なに勘違いして熱くなってるの、あのばか…。

父に食ってかかる人間をはっきり見たのは初めてだった。
兄たちでさえ、父に意見することはなく、その言葉には従っていた。
…たしかに、父は怒鳴ったり無理やり従わせたりとかはしない。
ただし、言葉には有無を言わせぬ説得力がある。それに抗える人は、そういない。
伊織も父親の前ではただ甘えておねだりするしかない。
ある意味そうしなければ自分を見透かされてしまう厳しさを持っている。
自分の本心を貫く視線に、萎縮してしまう。

否定されるのが…怖い。
兄たちは父を尊敬する一方で怖れている。だから言うことに従う。
私も、そうだ。本気で父が私を芸能界から追い出しにかかれば、あっというまに私の居場所は取り上げられてしまうだろう。
そんなことになる前に、私がいた場所が跡形もなくめちゃくちゃになる前に…自分から幕を引いたほうが…いい。

なのに…あのばかときたら…パパを説得しようとしている…。
冷や汗だらだらかきながら。しどろもどろに。かっこわるい。全然スマートじゃない。
でも…なぜだか…涙が、とまらない……。


黙って聞いていた水瀬父が小刻みに震えていた。
「……ふふ、ふふふふふ」
やがて、それは大きな爆笑に取って代わった。
「……?」
俺はただ、狼狽するしかない。
「ははははは!失礼!いや、ははははは!これは愉快!とても愉快だ!」
水瀬父は椅子からがたんと立ち上がると、俺の横にやってきてバンバンと肩を叩いた。
そして俺の汗にまみれた右手を厭うことなくぎゅうううっと強く握る。
「いや、すまないね。まさか、ここまであれのことを考えてくれていたとは思わなかった。申し訳ない。まずは謝罪する」
そう言って、すっと頭を下げる。
俺は手をにぎったまま、その手をぶんぶんと振った。
「い、いえ、すみません!差し出がましい口をきいてしまって!」
「いや…大変失礼な話だが、君という人間を知りたくもあってね。ちょっとこういった形をとらせてもらった。これについても謝罪させてほしい」
もう一度すっと頭を下げられる。
「……はぁ」
俺はもうなんだかわからなくなって、拍子抜けした声しかかけられない。
水瀬父は上品に笑い、再び椅子に腰掛ける。
緊張の場ではないとわかっていたが、未だに場の転換についていけない。
「高木くんから話は聞いていたが、やっぱりこういうのは自分で判断しないといけないと思ってね…」
その後、俺の名前を呼ばれて、びし、と背筋が伸びる。
「は、はい!」
「あれのこと、よろしく頼む。私や息子たちは、あれを心配をしていたが、むしろ過保護なきらいがあったようだ」
「…は、はい…」
「君の話を聞いて、安心した。…そして、反省したよ。もっと、あれと直接話をしておいたほうがよかった」
「……」
腹の奥底から、あたたかいものが湧き上がってくるのを感じていた。
「で、では…!」
「勉学と生活態度は、週報の形で新堂にレポートすること!」
深く、染み入る、しかし凛とした声で水瀬父は宣言した。
「はっ、はい!」
思わず立ち上がり、直立不動で返事をする。
「月に1度を目処に、私のスケジュールと調整をつけて、あれと話す場を設けること!」
「はい!」
「最後に…あれが出すCDや写真集、コンサートチケットなどは、私宛に一番に届くように手配すること」
言って、茶目っ気たっぷりにウィンクをする。

それを聞いて、俺の目の前が急速に霞んだ。
こんな経験は初めてだった。
「は、はい…必ず…お届けにあがり…ます…」
腹から胸へ。とにかく体の奥が熱かった。
こらえても、全然ダメだった。
あふれるままに、熱い気持ちは液体となって目からこぼれてきた。
水瀬父は再度立ち上がると、再び俺の横に並び、手を差し出してきた。
柔らかな笑顔だった。
俺はそれをちゃんと見ることもできず手を握った。
「引き続き、あれのこと、よろしく頼む…それと…」
握手したその手がぎゅぎゅうと強く、痛いほどに握られる。
「父親の前で娘を呼び捨てにするとは、なかなかいい度胸だ」
そう言って快活に笑った。


内線が入り、伊織お嬢様とプロデューサーが事務所に戻る時間が来たとの連絡が入った。
執事の制服であるスーツの襟元を整え、車の手配を済ませつつ玄関に向かう。
玄関内の車止めには、すでに3名がそろっていた。
主の表情を見、今回の結果を知った。
「今、車を呼んでおります」
主が軽くうなずく。
二人から離れ気味に立っていたお嬢様は、平静を保つよう努力されておられたが、執事の私から見てもそれは絶望的な戦いであった。
不思議なのは、プロデューサーまでもが、目元を腫らしていたことだ。
やがて送りの車が音もなくやってくる。
扉を開ける。
プロデューサーは伊織お嬢様を先に乗せようとした。
お嬢様は何やら迷われている様子である。
だが…やがて意を決されると、
「パパ、行ってくるね」
そうおっしゃるとすばやく主の頬に口付けをされた。
そのまま、逃げられるように車の中に飛び込んでいかれる。
「では、またお伺いさせていただきます」
プロデューサーと主が握手をする。
…驚いた。
若造と思っていたが、堂々としたものであった。

車は門を出て行く。それを見送った後、主はふうと一つため息をされた。
「なあ、新堂」
「はい」
「あれは、あいつに似てきたな…」
「奥様…ですか」
「あのプロデューサーも、なんとなく、私の若い頃に似ていたかな」
私は答えない。
それが、答えを求める問いではなかったことを知っていたからだ。
「あれがあいつに似てきたということは、彼もいずれ苦労するだろうよ…いや、もう散々苦労の真っ最中かもしれない」
主は心底喜びのなかで笑われた。
私はそれを見ると、すでに彼らが行き去った道に向かって、もう一度礼をした。








車中で、伊織と俺は気まずい沈黙にあった。
まさか大の大人が伊織の父親にすっかり参ってしまって涙を流して感謝したなんてことは言えるわけはなく。
しかし、伊織の様子もなんだかおかしかった。
だが、質問はまさに諸刃の剣。切り返しが自分に降りかかってくる。
ゆえにお互い窓の外を見ながら沈黙を保っている。

「ねえ…」
やがて、伊織が外を向いたまま声をかけてきた。
「パパと、どんな話したの?」
「んー、これからも伊織をよろしくって話をされて、わかりましたって答えた」
問われたらそう答えようと胸に刻んでいたセリフを、棒読みした。
「それだけ?」
「そんなとこかな」
「…ふーん」
再び沈黙。
ややあって、
「これから…もっともっと忙しくなるわよ」
「ああ、そうだな」
「ほんっと、私と常に一緒に動いていなさいよ。ただでさえ忙しいんだから、少しでも仕事受け持ってよね」
「ああ、わかった」
「ほんとよ?離れたら許さないわよ?」
「わかってる。離れない」
「…なら、いいわ」
そう言うと、俺の元に頭をもたれさせきて、目を閉じた。
「私、ちゃんとやるから…アンタもしっかりついてきなさいよ…」
返事は無用とばかりに俺の脇腹にもぐりこむ。
俺は伊織の頭を軽くなでてやり、彼女にならって少しの時間休むことにした。

車は静かに事務所に向かって走っている。
戻ったら伊織のレッスン。夜は週報の様式作りなどを考えねばなるまい。
だから今だけは…しばしの…休息を…。


ほんとうに終わり。


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